■ ある食卓の思い出 ■ (佐藤)
一般的に日本では
「8月15日」が終戦記念日となっているかと思います。
1945年8月15日
玉音放送により日本の降伏が国民に公表された日。
連合国軍の占領下にあった1952年4月27日までの新聞紙上では
日本政府がポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した
9月2日を降伏の日や降伏記念日や敗戦記念日と呼んでいたそうです。
8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされ
政府主催の全国戦没者追悼式を初め
様々な団体による平和集会が開かれているそうです。
そのような式典に参加したことはありませんが
報道等もこの日の前後は戦争特集が多くなり
戦争を知らない世代の私であっても様々な思いを抱く日であります。
終戦記念日を迎える度に思い出される記憶として
学生時代に旅をしたインドでの一つの食卓での一幕があります。
確かデリーからバラナシへ向かう間に滞在していた
どこかの街での出来事でした。
滞在何日か目
その街はお祭りのような雰囲気で賑わっていました。
ある日、顔なじみになった
宿に滞在している旅行者数人で
食卓を囲み食事をする事になりました。
それぞれ自国ではどのような生活をしているのか
どのような経路でこの街へ来たのか
また、これからどこに向かうのかといった話題に始まり
くだらない旅の思い出話に会話が弾みます。
ひとしきり落ち着いたところで
宿のオーナーがやってくるのが見えました。
旅行者の一人が賑わいを見せているこのお祭りは
どのようなお祭りなのかとオーナーに尋ねると
第二次世界大戦の戦勝記念日にまつわるお祭りとの事でした。
尋ねた旅行者もこの戦争では戦勝国側の方であり
その事を知ったオーナーから共に祝おうではないかと
乾杯を促されていました。
私が日本人だと知っていた彼は
少し気まずそうな表情を私へ浮かべ乾杯をしていました。
彼の表情を見た時に、毎年の終戦記念日の際に
一つの立場からしかその事を認識した事がない自分に驚きました。
史実ではもちろん認識していましたが
敗戦国の向こうには勝戦国の方がいるといった事が
現実的に認識され、それまでの賑やかな雰囲気が
私にとってとても場違いなものに感じられました。
それは一つの事実だとしても
どのような立場や側面から見るかによって
捉え方や感じる事が違うといった事実があり
一つの見方ではなく複数の角度から視座を持ち
考えなければいけないといった事を
痛切に感じた出来事でした。
この時期になると思い出される思い出です。
ここ数年は田舎に帰ることも出来ておりませんが
(都内の)実家に帰省した際には戦争で亡くなった曽祖父への
思いも含め仏壇へ手を合わせて来ようと思います。
今回のブログは佐藤よりお届けしました。
また次回、よろしくお願い致します。